一宮神社本殿

一宮神社境内 天満神社 一宮神境内 武大神社」
一宮神社境内 大原神社 一宮神社境内 八幡神社

8 一宮神社本殿及び境内本殿群(府登録.市指定.府環境)

  福知山市字堀

一宮神社本殿    一間社流造、檜皮葺、享保三年(1718)

境内社大原神社本殿 一間社流造、千鳥破風付、銅板葺 享保四年(1719)

境内社八幡神社本殿 一間社流造、千鳥破風.軒唐破風付、銅版葺 享保四年(1719)

境内社天満神社本殿 一間社流造、千鳥破風付、銅版葺  享保四年(1719)

境内社武大神社本殿 一間社流造、銅版葺  元禄八年(1695)()棟札二枚

 一宮神社は、正徳四年(1714)の火災により本殿をはじめすべての建物を焼失し、享保二年から四年(17171719)にかけて現在の社殿が再建されたもので、境内中央に一宮神社本殿が、境内社として本殿後ろ東側から大原、武大、八幡、天満神社本殿が、それぞれ北面して整然と建っている。

 本殿は、享保三年(1718)に建てられた一間社流造、檜皮葺(ひわだぶき)の大型のもので、大工棟梁は藩の御大工が務めている。装飾に桃山時代風の意匠がみられるが、地方化した若葉の絵様も施されており、飾りたてることなくあっさりまとめている。

 境内社大原、八幡、天満神社本殿は、享保四年(1719)に建てられたものである。三社ともほぼ同規模のもので、大原神社は地元の大工の手によるもので、八幡神社と天満神社は大阪の大工が携わっている。全体の建築技法としては、一宮神社本殿と変わらないが、正面に千鳥破風(ちどりはふ)をもち、八幡神社はさらに軒唐破風が付く。また、細部意匠では脇障子に彫刻を施したり、軒支輪(のきしりん)や妻飾(つまかざり)での棟木(むねぎ)を受ける組物は、大原神社は蛇腹で出三斗組(でみつとぐみ)になるのに対し、八幡・天満神社は板支輪で雲水彫刻を彫り、棟木受けを連三斗組とする。木鼻(きばな)は、大原・八幡神社の木鼻が渦巻式であるのに対し、天満神社は唐獅子等の獣面の木鼻を用いるなど、工夫を凝らした変化を付けている。

 武大神社は、福知山市土に鎮座していた建田神社で、元禄八年(1695)に地元の大工により再建され、明治41年にその本殿が一宮神社に移築されたものである。この武大神社も全体の技法は一宮神社本殿と変わらないが、虹梁の木鼻は獏鼻(ばくはな)とし、中央は獅子の彫刻で飾られている。移築の際、長押(なげし)や垂木(たるき).脇障子、縁、木階などを取り替えているが、高欄をはじめ軸部、組物等の部材はよく残っており、再建当初の姿をとどめている。

 これら神社本殿群は、武大神社のみ時代差があるが、江戸時代中期に建てられた神社本殿建築が、一間社流造という共通の形式のもとに整然と並び、大工が福知山の者であったり、大阪の者であったり、また藩の御大工など各地で活躍した大工の特徴を、細部様式の中にあらわしている神社本殿群として貴重なものである。

 鎮守の森は、境内入り口脇から東そして南方にかけて幹周2m前後のケヤキが数多く見られ、サカキ・カシ・クス等の照葉樹林にモチ・イチョウが混成して境内を取り囲み、南側にスギ、ヒノキの針葉樹が植樹されている。そして樹林の足下には、ササ、ベニシダ、フユイチゴ等が密生している。こうした社叢は整然と建ち並ぶ本殿や境内社等の社殿を包み込むように生い茂り、豊かな森林となっている。このような景観は周囲が住宅街となった昨今、緑の豊かな環境となっている。